最近「デジタル認知症」という言葉を目にするようになりました。
パソコンやスマートフォンに依存し過ぎるあまり、本人の記憶力や判断力が低下する症状を意味するそうです。漢字の変換はパソコンが、道を探すことはカーナビが、電話番号の記憶はスマートフォンが代行してくれる現代の便利な
環境が、何かを記憶しようとする努力と習慣を不要にし、その分野を司る脳の機能を低下させているとのこと。日頃、運動をしないと筋肉が衰えるように、脳も使わなければ記憶・認知機能が低下するということですね。以前から指摘されていたことですが、「デジタル認知症」というショッキングな名称が付けられると、より考えさせられます。

私は、過去に2度、電車の中で携帯電話を紛失する、というトラブルに見舞われています。一方は最近のことで、どの路線で無くしたかは分かっていたため、すぐに鉄道会社に連絡して事なきを得ました。もう一方は、10年以上前になりますが、これ以上ないと言う最悪のシチュエーションで発生したものです。父の定年退職祝いの家族旅行で草津温泉に行ったのですが、私は、仕事終わりに電車で向かい、現地の宿で落ち合うことになっていました。宿の名前は事前に聞いていましたが、駅についたら家族の携帯に電話すればいいと考えていましたので、名前や電話番号を控えてはいませんでした。

草津が近づき、さてそろそろ電話してみるか、と思ったところで、携帯電話がどこを探しても無いことに気づきました。家を出る時に持って出たことは確かなので、どこかで落としたことは間違いないのですが、ここに来るまでに何本もの電車を乗り継いできたので、どの路線で落としたのか検討もつきません。無くしてしまったものは仕方ありませんが、何より困ったことは、いまここからどの宿へ向かえばいいのか、聞こうとしていた相手の電話番号が一切分かりません。

家族の携帯番号は、電話帳に登録してあるだけで、記憶してはいない。実家の電話番号は記憶していますが、相手もこちらに来ているのだから出るはずもない。
途方に暮れる中、私の脳裏に一つの番号が思い浮かびました。祖母の家の電話番号です。幼いころ「もしも何かあったらこの番号に電話をかけろ」と母が徹底的に私に覚えさせたのでしょう。数十年たったあとでも私はその番号を
はっきりと覚えていました。これが駄目なら万事休す、祈るように公衆電話から祖母の家に電話をしてみると、幸いにも祖母は家におり、私が知りたかった母の携帯番号を教えてくれました。それにより、ようやく私は目的の宿にたどり着くことができたのです。

デジタル機器がなんでも記憶しておいてくれる、後から検索できる、というのは非常に便利ではありますが、それに頼り過ぎると、その機器がなければ何もできなくなるという、心理的なパニックを起こしかねず、一気に緊急事態に陥ってしまう危険性を秘めています。便利な機能は積極的に活用したほうが良いですが、あまり頼り過ぎずに、時には自らの記憶力も鍛えるべく、また、デジタル機器の故障や紛失にも柔軟に対応できるように、アナログな記憶方法もバランスよく利用すべきだと思いました。

【しばわんこ】